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11.26 TWO PARTS@ゆうど

André van Rensburgさんとご一緒します。

猫がいる素敵なギャラリーゆうどでお待ちしています*

“TWO PARTS”———–

響きあうカラダと音が、一瞬ごとに空間をデザインしてゆく、ダンスと音楽のデュオ・コラボレーション。即時的な共同制作は、どんな「作品」になるのだろう?

シャープな動き、枠からはみ出す思い切りの良さで評判の細川麻実子さんに、龍安寺の石庭が好きすぎて日本に移住してしまった?アンドレ・バン・レンズバーグ氏は絶妙な「間」の感覚でダンサーを触発します。注目の初共演です

都心にほど近い、古民家ギャラリー・目白「ゆうど」の暖かく澄んだ空間で、小さな奇跡に出会えるかもしれません

第一部は15時半、第二部は18時から。

その間の「幕間」では鈴木ちほさんのバンドネオンによる「アンビエント・インスタレーション」。冬を迎えるそれぞれの時間

第一部のみ、第二部のみ、通し券、いずれのお客様にも「幕間」で、お茶と季節の和菓子をお出しします

また、幕間では外出もご自由です

小学生以下無料(お茶菓子代のみ)にて

日時:2017年11月26日(日)

・第一部 – 左目に見せるな(開場15時 開演15時半)

・第二部 – 何も見えない、聞こえない(開場17時 開演18時)

出演:

細川麻実子(ダンス)

アンドレ・バン・レンズバーグ(ギターと尺八)

ゲスト 鈴木ちほ(バンドネオン)幕間の音楽

会場:目白・古民家ギャラリー「ゆうど」

東京都新宿区下落合3丁目20-21 JR目白駅徒歩6分

料金:第一部、第二部 各 2,000円

通し券 3,000円 どちらでもお茶と和菓子付き

During the “Interlude” between Part 1 and Part 2, tea and Japanese sweets are served for all the participants.

Also, you can enjoy the “ambient installation” by Bandoneon.

And you are free to go out.

ご予約:メノウ東京Facebookトップページ↓で、https://www.facebook.com/menoTOKYO/右手の「メッセージを送信!」ボタンからお申し込みください。

各出演者の方でも受け付けます

お問い合わせ:メノウ東京(Meno-TOKYO)050-5806-1997

https://www.facebook.com/events/122392391748430/?ti=icl

 


後記① 企画・主催Meno-TOKYO 竹場元彦さん記 Part 1・2それぞれの結末について

「Part Oneのハイライトはそのエンディングでした。ギタリストは演奏を止め、ダンサーも足を止める。しかし、その後、二人はそれぞれの場で埋み火のような微かな所作を断続的に繰り返し、関係を絶とうとはしない。しばらくして、とうとうダンサーが意を決して退場する。ひとり残されたギタリストは、それでもなお、居住まいを正し、得物を置き、空を見上げ、また俯き・・・などの所作だけで音楽を継続する。

そして、ふと、自らの孤独を確認するかのように首を傾け、ダンサーが立っていた場所を見やる。息を飲むしかないような、気が遠くなるような5分間。これは完璧だったと思います。つまり、小津監督でも、これ以上の演出はできなかったんじゃないかと。ダンサーは大船でも鎌倉でもない正しい位置に立ち、これより早くても遅くてもいけない正しいタイミングで去った。ミケランジェロ・アントニオーニでさえ、これ以上の「不毛」は描けなかったんじゃないかと。

そして、ギタリストは何一つ余計なことをしなかったし、何一つ不足もなかった。ヴィンセント・ギャロならば、リメイク権を買ってダンサーはそのままで自分がギタリストを演じようとするんじゃないかと。ま、言い過ぎだろうけどね。いいじゃないの、言わせておけば。笑 1週間経っても、僕は最高にいい気分なんだから。

いや、言い過ぎではないな。笑 こうしたコンサートで、オーディエンスがパフォーマーから受け取るものはいろいろあるだろうけれど、その中でも最上の贈り物はオーディエンスの中に定着し、発芽し、成長する「タネ」のようなものだと思う。それを枯らしてしまわないように気をつけることは、オーディエンスに責任として残される。

そして、時が経てば、オーディエンスの中で成長したイメージが、その時に起こったことの意味を伝える。これがパフォーミング・アートが生むマジックであって、それには時として、数十年にも及ぶ時間が必要なことすらある。このシーンが心に残るのは、ダンサーがギタリストを置き去りにしたように見えて、実は逆にダンサーはいつまで経っても一人でいることの孤独感にギリギリまで耐えて耐えきれず、その場を去るしかなかったのだと、見え方が反転することを予感させるからだ。Part Twoでは、ダンサーは今度は庭に出て、追って来てくれる人がいることを願っていた。しかし、やはり誰も来てはくれない。そのヒリヒリとした切実さを完全に理解していたのは、あのフクロウだった。もし、あの時フクロウの鳴き声に止められなければ、ダンサーはあのまま水に入っていたんじゃないかとすら思う。何人かたってから、そのことに気がつくオーディエンスもいると思う。

ギタリストの表現が音楽を超え、ダンサーの表現がダンスを超え、そこで初めて共有できる時間と空間での出来事。つまるところ、アートは人間の感覚と意識の問題なのだから、同じ幻のように見えたとして不思議はない。

「何も決めずに成り行きに任せましょう」「ですね」

前もって決めてしまったら、こういうことはまず出来ない。過去をなぞることになるからね。ダンスは動きを通じて、音楽は音を通じて、どちらも結局は「気」を生み出すものと考えればわかりやすい。その「気」が合った瞬間に起こることは、現場で体感するしかない。パフォーマーだけではない。オーディエンも含めあの場にいた全員が、あのとき確かに未来を拓いたと思う。僕にとってこの写真は、あの日の奇跡を、懐かしく思い出させてくれる1枚です。」


後記② 北里義之さんによるレビュー

https://m.facebook.com/yoshiyuki.kitazato.7/posts/1426581230773821

https://m.facebook.com/yoshiyuki.kitazato.7/posts/1426649010767043

https://m.facebook.com/yoshiyuki.kitazato.7/posts/1426833027415308